漫画「ちはやふる」をもっと楽しみたい方へ!
登場順に和歌を解説するシリーズ、二首目は「瀬をはやみ」です。
「瀬をはやみ」この歌を恋の歌だと思っていた方!実は別の解釈が正しいかも知れません。
どちらの解釈でもとても美しいです。
そこを含めて、実際の歌の解釈とちはやふるの中での私の解釈をあわせて解説します。
1.「ちはやふる」での登場
登場:1巻
小学生の千早が転校生の新と初めて競技かるたをしたシーンです。
千早が唯一、上の句を覚えている一首でしかもそれが一字決まりの一首。
千早は新からこの一首をもぎとりました。
2.歌の意味
瀬をはやみ 岩にせかるる 滝川の われても末に あわむとぞ思う
読み:せをはやみ いわにせかるる たきがわの われてもすえに あわんとぞおもう
意味:浅瀬の流れが早いので、岩にせき止められる急流が2つに分かれても、また合流するように、今は二人分かれていても将来再び会いたいと思う。
作者:崇徳天皇
3.瀬をはやみは恋の歌じゃない?
学生時代にこの歌について習った記憶があり、恋の歌だと思っていました。
他に調べてみても男女に何か事情があって、別れることになってもいつか再び会いたいと思う恋を川の急流に例えた歌とあります。
恋する男女が障害を乗り越えても必ずまた会おう。そう言い換えられる歌ですね。
ただこの歌を書いた崇徳天皇の相手は誰なのか気になって調べましたが、具体的に誰という情報がでてきません。
崇徳天皇について調べてみると、激しい勢力争いに巻き込まれ敗戦し、讃岐に流刑となっています。
流刑をこの和歌の急流に照らし合わせると、
京の地からは不本意にも流されてしまったが、いつか必ず戻って返り咲く。
という自分の境遇の歌と読むこともできそうですよね。
しかしながら、「あう」という言葉が「水が再び合う」と「人に逢う」という意味で捉えるとスマートに詠めるため、実は崇徳天皇が想いを寄せる相手がいたのかも知れません。
ここに関しては情報がないので、想像で詠むしかないですね。
どちらであってもいい歌だなと思います。
4.「ちはやふる」での解釈
さて、ちはやふるに戻ってこの歌と千早、新、太一の状況を考えてみました。
この千早と新の勝負の後、3人でチームちはやふるとしてかるた大会にでます。そしてその後、新は引っ越ししてしまう。
まさに瀬をはやみの状況にぴったりですよね。
引っ越しという境遇で離れ離れになってしまっても、競技かるたを続けていればいつかまた千早、新、太一の3人で絶対会える。
私はこの歌とこのシーンがちはやふるにどっぷりはまる理由になりました。
歌の解釈をとてもわかりやすく表現してくれていて、感動しました。
この後たとえどんな事があっても、3人は再会してくれると信じさせてくれる歌でもあります。
5.最後に
「瀬をはやみ」が恋の歌ではないかも知れない背景、理解いただけましたか?
スマートに読めるからこそ多くの人は恋の歌だと思いがちですが、別の視点で読んでみるとそれはそれで納得できるのではないでしょうか。
崇徳天皇の恋の相手が誰かわからないことがモヤモヤしますが、どちらの解釈であっても、私はとてもこの歌が好きです。
崇徳天皇はひどい境遇ながらも最後の最後まで仏のような態度で全く流刑など気にしていなかったようです。
保元の乱も相手が仕掛けてきたから仕方なく挙兵しています。
おそらく、政治も戦争も全く興味なく、和歌や自分の趣味に没頭していたら巻き込まれていた。
そんな境遇なのじゃないかと思っています。
そんな流刑も気にしない、自分の思うまま強く生きる崇徳天皇を好きになりました。
その崇徳天皇が京に戻って帰り咲く!という強い意志で詠んでいると思うと心が燃えるような気持ちになりませんか。
ちはやふるにおいては、3人の再会が楽しみになり、どんどん読み進めさせられました。
いつか3人が再開し、より強い流れとなってほしいですね。
あなたなりの解釈もあれば、是非私に教えて下さい!
次回は「ほととぎす」です。
それでは!